教育におけるジェンダー

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 昔に比べ男女平等の思想が浸透してきている現代日本でも男らしさ・女らしさの考えは社会に残っており、また制度としての男女の差は完全にはなくなっていない。その考えは社会で生活していく上で様々な方面からの影響により人に定着していくことが予想されるが、そのうちの重要な要因の一つとして教育によるものも挙げられる。[1] その中でも学校と日常(家庭含む)におけるジェンダー要素のある問題を挙げそのあり方について考えてみる。

学校におけるジェンダー[編集]

名簿・制服[編集]

学校におけるジェンダー問題として、「公式のカリキュラム」に対して「かくれた(かくされた)カリキュラム_hidden curriculum」と呼ばれるものがある。例えば、クラス名簿などである。このような要素は、男女がはっきりと違うものであることを強調しているものと捉える考え方がある。大きな混乱もなく男女混合名簿などを用いている学校も存在するため、必ずしもあるべきシステムだと言い切るのは難しい。席替えにしても、男女が隣同士になるレイアウトは変わらず、入学式や卒業式に男女がペアになって入場する学校は現在でもある。

また、制服も男女差を表すものであると考えられる。昔から使われ続け現在でもある程度普及しているものとして学生服(学ランと呼ばれるもの)とセーラー服がある。学生服は陸軍の軍服を元に、セーラー服は海軍の制服を元に男女異なる学校のため作られたという歴史的背景がある。しかし、現代では差を付ける必然性もないため近年男女差が比較的少ないブレザーを制服とする学校も増えている。しかし、多くの学校では下に履くのは女子生徒はスカート、男子生徒はズボンと決まっている。男子のスカート姿は現代日本では一般的ではないが、女子のズボン姿は広く普及している。それにも関わらず、女子はスカートと決まっているのはなぜなのかという、決まった型があるジェンダーの問題が挙げられる。

また、服装におけるジェンダーとしては、制服だけでなく体操服に関する問題もある。21世紀頃からは男女共にショートパンツの体操服を用いる学校が多くなったが、それまでは男子はショートパンツで女子はブルマとした学校が多かった。

教科書[編集]

一見中立的に見える教科書も、ジェンダー要素を含んでいる可能性がある。1997年に行われた国語の教科書の調査において、男性が主人公のものは73%に対して女性が主人公のものは27%と低いことが分かった。また、その描かれ方も、男性キャラクターは主体的、女性キャラクターは受け身で描かれる傾向が強い教育の手本として使われる教科書という重要な教材にもこのような差が存在し、それをほぼ無意識的に当たり前のことだと学習し、子どもはその価値観、考え方を受け入れている可能性がある。

科目・部活動[編集]

学校におけるジェンダーが比較的分かりやすく現れる科目がある。体育、家庭科、音楽などである。義務教育課程でも男女別で体育をしている学校はある。家庭科は、最近は男女共に受けるが以前は男子生徒は家庭科を受けないで技術の授業を受けるというシステムがあり、現在でも家庭科教師というと母親像から女性を連想する人が多くいる。また、家庭での教育とつながるが、音楽も楽器のお稽古というと女子生徒を連想する人の方が多い。

他に体育関連、部活動などに関わる問題として、男子生徒はスポーツが得意で、女子生徒はどちらかというと不得意、というスポーツを男性性として捉える考え方もある。また、体育系の部活動のマネージャーの例も挙げられる。1992年に神奈川県の県立高等学校9校に行われたアンケートによると、約70%の部活でマネージャーを置いており、そのうち97%が女子(男子マネージャーを置いていたのは一校のある部一つだけだった)という結果が出ている。そして、マネージャーの実際の仕事などから考えると、細かい身の回りの世話を女子生徒が行う事を一般的と考える生徒が多いという推測が見える。裏方で雑用などの仕事をする立場がほぼ女子生徒に当てはめられるというこの図式は、夫や子どもが仕事や勉強をするのを家事労働で裏から支える母親像、妻像という連想にも繋げることができる。


日常生活におけるジェンダー[編集]

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子どもは家庭での教育からも大きな影響を受ける。学校、家庭両方での問題というのもあるが、それらを挙げる。家庭、学校両方においてしばしば問題視されるジェンダーとして色が挙げられる。ランドセルの赤黒という色が例として使われることが多いが、この問題は、義務教育が始まる前から始まっていることが多い。現在、世間一般的にピンクは女の子、青は男の子というイメージが強い。幼稚園などでもコップ、お箸などを女の子はピンク・赤などの暖色系、男の子は青・緑などの寒色系というのが当たり前のように受け止められている。生まれてすぐにも女の子はピンク、男の子は水色のおくるみにくるまれて抱っこされ、出産祝いはそれぞれの性別に応じた色のものが届けられるという傾向もある。

言動[編集]

ある種一番無意識なものとして言動の問題がある。「女の子だから○○してはいけない」「男の子なんだから○○しなさい」という類の言葉は無意識に発される事も多く、ジェンダーという問題を意識するのであれば気を付けなければならない。女の子だから等と禁止している言動があったとして、その考えを受け入れるにしてもなぜそうなのか、ということは重要である。言葉にまつわるものとしては、「女医」「女社長」などの言葉があるのに「男医」等はない、というのも挙げられる。また、この態度というのは教師や親側の問題に加え、マスメディアによる影響も大きいと考えられる。例えば、教師が泣いている男子生徒に対し「男なんだからめそめそするな」と言うなどである。

さらに、日本語の表現力も言葉の問題に関係していると考えられる。日本語は表現力が豊かなため、女言葉や男言葉が多く存在する。「~だぜ」という言い方は男っぽくて「~だわ」というのが女っぽいというのは子どもにも理解されるものである。

課題[編集]

授業においてジェンダーについて考える課題には以下のようなものが挙げられる。[2]

  • クラスでグループを作り、そのなかで家庭や学校で今までに性差により禁止されたり推奨された物、話し方、しぐさ、動き等がないか話し合ってみる。
    目的:社会はどのような性的基準を再生産しようとしてきたのかを実際の体験談において考える。
  • 人間観察:電車の中、デパート、ビジネス街など各々が特定の場所を選びそこにいる様々な年齢層の人たちを観察し、記録する。自分たちが何をもってその人たちを「男」「女」と区別しているかを簡単にまとめたものを持ち合いグループで話し合ってみる。
    目的:学生に自分が基準として考えている男像と女像はどのようなものなのか、潜在意識の中でなぜそのような基準ができたのかを改めて考えさせる機会を設ける。
  • マスメディア観察:テレビCM、ドラマ、雑誌の広告など特定のマスメディアを選び、その中で言動や服装など(広告なら何の広告なのか)を観察し、記録する。それを持ち合いグループで話し合ってみる。
    目的:マスメディアというはっきりとしたメッセージを送る媒体において男女というものがどのように表現されているかを考える(eg各種アルコールのCMにおける男女比等)。

脚注[編集]

  1. 一方で、ジェンダーを意識させすぎるのは問題ではないかという批判もある。
  2. このうち二つは国際基督教大学授業にて実際に行われたものである。ICU

参考文献[編集]

  • 天野正子、木村涼子編 『ジェンダーで学ぶ教育』2003年 世界思想社
  • 亀田温子、舘かおる編 『学校をジェンダー・フリーに』 2001年 明石書店
  • 三宅義子編 『現代の経済・社会とジェンダー 第3巻日本社会とジェンダー』2001年 明石書店
  • 山梨県立女子短大ジェンダー研究プロジェクト&私らしく、あなたらしく*やまなし 編著『0歳からのジェンダー・フリー 男女共同参画 山梨からの発信』 2003年 生活思想社

関連項目[編集]

以下のウィキペディアページも参照のこと