経済寓話

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私は経済学に詳しいわけではなく、せいぜい高校の政治経済で学習するようなことを知っている程度だが、ここは大学ということなので、学問のための何らかの問題提起、議論のための叩き台として、以下の文章・小話を放出します。

経済寓話[編集]

Aさんという人がいた。 Aさんの住んでいる星では自然環境から毎日、 0 から 9 までの数字で示される、 10個のものが与えられていた。そして Aさんはある日 0 から 9 の 10個のものを原材料にして、 Aというものを 26個作った。そしてその夜、Aさんは自分の生活のために、Aを 1個使い食べて、残りの 25個はとっておいた。

そして次の日 Aさんは自然から得られる 0から 9までの 10個と、昨日自分が作った A を 25個原材料にして、新たな Aを新たに創意工夫して 26個作りだした。そして夜になって、自分のために A を1個使って、食べて、眠りについた。

そして Aさんは毎日この生活を繰り返して死んでいった。

つまり Aさんがたった一人でこの星に住んでいたら、毎日 A を1つ食べて、 A を 26個作る生活を続けていくだろう。

しかしもしこの星に、 Aさんから Zさん、アルファベット 26文字であらわされる 26人の人が住んでいて、それぞれの生産物を交換し合ったらどうなるだろうか?

すると、公平、均等の考えから行くとこうなるだろう。

例えば Tさん。 Tさんは毎日自然環境から与えられる 0 から 9 の 10個、そして A から Z で示される 26個のうち、昨日の生活で使って食べたもの(例えば F )を除く 25個を原材料にして T を 26個作りだして、そしてこの星の住民たちとそれを交換して、結果、 A から Z のもの 26個を 1個ずつ手にするだろう。そしてそのうちの任意の 1個を生活のために使い、食べて眠りにつく…。

Tさんはこの生活を一生続けていく。

Tさんは一人で生きていたら毎日 Tだけを消費するだろうが、 26人の人がいたら、その日その日で A から Z の中から選んで使い、食べることができる。でも量は、あくまで 1日1個だよね。

つまり、社会とか経済ってそういうことではないかと思うわけです。儲けるとか、ものづくりとか、生産とか、やたらと行動と欲望を煽る言葉が流布しているけど、実際の生活って、もっと定常的な、何らかの保存則の下での繰り返しではないか、という主張です。