証拠の評価
ここでは、自由心証主義と証明責任について扱います。この講座は、民事訴訟法の学科の一部です。
自由心証主義
[編集]自由心証主義とは、心証形成の方法について用いることのできる証拠方法や「経験則」を法が限定せず[1]、裁判官の自由な判断にゆだねる建前[2][3]をいいます。これは247条において定められており、その内容として、証拠方法の無制限と弁論の全趣旨の斟酌、証拠力の自由評価があります。このため、刑事訴訟とは異なり、民事訴訟では違法に入手された証拠でも証拠能力が認められる場合があります[4]。
ここでいう「経験則」とは、事実を推認する際に根拠として用いる一般常識や専門的知識や科学知識[5]などの事だと解釈されています[6]。
なお、自由心証主義に対する考え方で、たとえば「特定の契約の証拠は書証のみとする」など法律によって事前に定めておくなどして制限する方式を「法定証拠主義」と言います。歴史的には、かつてドイツやフランスなどで法定証拠主義が取られていた時代もあった。しかし社会が複雑化していくに従い、法定証拠主義では対応できなくなり[7][8]、現代ではドイツでも自由心証主義が採用されている[9]。また、日本の民事訴訟法にも、裁判所の事実認定の法則を拘束する条文は存在しない[10]。
さて、自由心証主義において、証拠方法の無制限とは、特定の事実の認定のための証拠方法が制限されず、あらゆる人・物が証拠方法となるということを意味し、証拠力の自由評価とは、証拠をどの程度重視するかという、証拠価値の評価を裁判官の自由な判断に委ねることを意味します。弁論の全趣旨とは、口頭弁論に現れた一切の資料や状況をいい、当事者の弁論内容のほか、当事者や代理人の陳述の態度、攻撃防禦方法の提出の時期などが含まれます。
しかし「自由」といっても、全く恣意的に[11]裁判官が判断できる絶対的自由を許すものではなく、裁判官は論理法則や経験則による拘束を受け、裁判官の判断はそれらに基づいた合理的なものであることが求められます。つまり、ここでいう自由とは、証拠方法を限定し、あるいは事実を推認する法則を法定して事実認定に拘束を加える法定証拠主義をとらないという、法定証拠法則からの自由を意味するものです。
法定証拠法則(例えば、契約の締結について争いがあるとき、契約が締結されたと言う証人を3人用意すれば必ず契約は締結されたものとして扱われる。)などは、科学や社会が現在ほど発達しておらず、裁判官としての素質が不十分な者も裁判官となっていた時代においては、裁判官の恣意的判断を抑制し、事実認定を安定させるものであったと評価できますが、現在のように社会が複雑・多様なものとなると形式的な証拠法則のみによって正確・妥当な事実認定を行うことは困難となり、状況に応じた柔軟な判断を可能とするため自由心証主義が採用されているものと考えられます。またこの前提には、裁判官に対する相応の信頼もあるといえます。
なお、裁判官がある事実を「証明された」と思うに足る程度の証明の程度の最下限[12]のことを証明度と言います。
この用語を用いれば、裁判上の「証明」とは、裁判官の心証が一定の証明度を超えた事を意味します[13](文献[14]によっては、こちらの文が「証明度」の定義になっている場合もある。) 数学的表現の違いですが別の言い方では、証明度とは「証明された」と思うに足る必要かつ十分[15]な程度の証明の事だとも言えます。ここら辺の言い回しについては国語や数学の問題になるので、本ページでは深入りを避けます。
民事訴訟における証明度の定義についての有名な判例で、証明度とは「一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、(中略)、高度の蓋然性を証明する事であり、その判定は通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものである事を必要とし、かつ、それで足りる」という判例があります(最判50・10・24民集20巻9号1417頁、百選57)[16][17]。
判例にもあるような考え方が伝統的に[18]「高度の蓋然性」という表現で、証明度の原則[19]として、よく用いられます。
- ↑ 山本、P275
- ↑ 山本、P275
- ↑ 三木、P255
- ↑ 山本、P276
- ↑ 三木、P256
- ↑ 中野、P238
- ↑ 三木、P256
- ↑ 山本、P275
- ↑ 山本、P275
- ↑ 安西、P155
- ↑ 三木、P256
- ↑ 中野、P240
- ↑ 三木、P249
- ↑ 中野、P240
- ↑ 山本、P277
- ↑ 山本、P277
- ↑ 安西、P156
- ↑ 山本、P277
- ↑ 安西、P156
証明責任
[編集]総説
[編集]自由心証主義に基づく訴訟では、場合によっては必要な証拠が出てこないなどの理由により[1]、裁判官の心証において、ある事実の真偽が不明となることがあり、このような自体を民事訴訟学では真偽不明(ノン・リケット)[2]といいます。しかし、裁判所が真偽不明を理由として裁判を拒否することは許されるものではありません。これを認めてしまうと、被告の利益を図る目的で、裁判官が真偽不明ということにして裁判を拒否し、原告の利益が守られなくなってしまう(例えば交通事故で、加害者である貴族の利益を図るため、被害者である一般市民からの訴えについて真偽不明として裁判を拒否するなど。)ということにもなりかねません。そこで、そのようなことを防ぎ裁判を行うためにも、ある事実が証明されていないことを当事者のどちらの不利益とするかを決定しておく必要があります。この、ある事実が真偽不明であることから生じる一方当事者の不利益[3][4][5]を、証明責任と言います。(「責任」という語が使われているものの、当事者の証明すべき義務という意味はない。[6])
証明責任を負う当事者の提出する証拠、あるいはその立証活動を本証と言います。たとえば原告が証明責任を負っている事件の場合、原告のするその証明が本証に該当します。これに対し、証明責任を負わない側の当事者の提出する証拠、あるいはその立証活動を反証と言います。さきほどの原告が証明責任を負う事件の場合なら、被告が原告の主張をしりぞけるために出した証拠が反証に該当します[7]。
本証においては、主要事実の存在について裁判官に確信(8割がた確かであるという程度、通常人が疑いを差し挟まない程度のもの)を抱かせることが必要となります。
反証においては、反証者は証明責任を負わないので、真偽不明の状態に持ち込めば足り[8][9](その事実はないものと評価され相手方に不利益、自己に有利となり)、その不存在について確信を抱かせるまでの立証は必要はありません。
証明責任の分配
[編集]どちらの当事者が証明責任を負うかという問題のことを証明責任の分配といいます。証明責任の分配をどのように決定するかについては、訴訟物である実体法上の権利の内容によって決まります[1]。たとえば民法などの条文といった具体的な法規によって規定されている場合があります。
学問的に言えば、現在では「法律要件分類説」が学説と実務の双方において通説となっています[2]。すなわち、証明責任の分配は実体法において定められる要件事実を基準として決められるものであり、基本的に、ある法律効果の発生を定める法条の要件事実について、その存在により有利となる側がその証明責任を負います。
一般的には、以下のように考えられます。
- 権利根拠規定の要件事実
- 権利の発生を定める規定の要件事実については、権利を主張するものが証明責任を負います[3][4]。例えば売買代金請求権は、各権利を主張する側が証明責任を負う[5]。なお、現在の権利の主張として、かつて権利が発生したと主張することで足りるということは、原則として一旦発生した権利は変更されずに存続すると考えているといえます。
- 権利消滅規定の要件事実
- 一旦発生した権利関係の消滅を定める規定の要件事実については、権利を否定する者に証明責任があります[6][7]。例えば、弁済[8]による債務の消滅や、時効による権利の消滅など。
- 権利障害規定の要件事実
- 権利障害規定とは、権利の発生を原始的に妨げる事例の規定です。[9]権利根拠規定に基づく法律効果の発生の障害を定める規定(権利障害規定)の要件事実は、その法律効果の発生を否定する者に証明責任があります。例えば、契約の成立に対し、契約に錯誤や通謀虚偽表示等の無効原因があって無効であることなど[10]は、取り消す側に証明責任があります[11]。
- 権利行使阻止規定の要件事実
- 発生した権利の行使が阻止されるという権利行使阻止規定の要件事実は、権利行使が阻止されると主張する者に証明責任があります。例えば、同時履行の抗弁権の主張など。
また、条文上本文と但書に書き分けられている場合には、基本的に、本文に該当する事実が適用要件であり、但書の要件は不適用の要件と考えられ、その法条の効果を免れようとする者に証明責任があると考えられます。
- ↑ 山本、P286
- ↑ 三木、P267
- ↑ 山本、P287
- ↑ 中野、P267 表
- ↑ 山本、P287
- ↑ 山本、P287
- ↑ 中野、P267 表
- ↑ 山本、P287
- ↑ 三木、P267
- ↑ 山本、P287
- ↑ 安西、P159
証明責任の転換
[編集]一般の不法行為に基づく損害賠償では、原告(被害者)が証明責任を負うのが原則である(民法709)。しかし、自動車事故の場合、民法709条とは逆に、民法の特別法としての自動車損害賠償法の3条但書により、被告・加害者(運転手[1])が証明責任を負う[2]。
このように、特別法によって、証明責任を負う側が変更することを証明責任の転換という。
学問的な議論では、特別の立法がない場合での[3]一般的な事件でも証明責任の転換が可能であるかどうかが議論になっている。
また、証明妨害があった時に、証明責任の転換を図るべきとする見解がある[4][5]。
なお、証明妨害に関する民訴法の明文規定として、相手方の使用を妨げる目的で文書を毀損した場合、その文書に関する相手方の主張を真実と認めるという規定がある(224条1項・2項)。この224条は、学説的には、証明責任の転換については、特に言及していないものと考えられている[6]。当事者が文書提出命令に従わない場合も同様に、相手方の主張を真実と認めるという規定になっている(224条)。
否認と抗弁
[編集]相手方の主張を退けるための事実上の主張には、否認と抗弁があります。相手方の証明責任を負う事実を否定する主張が否認であり、相手方の主張事実と両立しうる新たな積極的事実を持ち出して、自己が証明責任を負う事実を主張するのが抗弁です。
例えば「パソコンを売ったので代金を支払え」という訴訟について考えると、代金を支払えというための代金支払請求権の発生原因となる売買契約の成立については、原告が証明責任を負います。そして、「パソコンを買っていない」という主張は、被告が売買契約の不成立について証明責任を負うものではなく、否認となります。これに対して、「既に代金を支払った」という主張は、弁済による債務の消滅という法律効果の発生を主張する被告が、その根拠となる代金支払いの事実について証明責任を負うのであり、抗弁となります。
また、抗弁となる事実と両立する、自己が証明責任を負う積極的事実を主張することによって、抗弁の効果を覆し請求原因の効果を復活させる主張を再抗弁と言い、以下、再々抗弁……と続きます。上の例でいうと、原告の代金支払請求に対し、被告が「契約は錯誤により無効である(民法95条本文)」という抗弁を主張した場合に、原告が「被告には重過失があった(民法95条但書)」というのは、錯誤無効の効果の発生障害となる事実があることにより、錯誤があっても無効とならないということを主張する原告が、その根拠となる重過失の証明責任を負うのであり、抗弁で主張された錯誤の事実と両立する、抗弁の効果を覆して契約成立の効果を復活させる主張であるため、再抗弁となるものです。
(参照 w:証明責任)