Topic:形態論/コラム/ら抜きは自然だ
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ら抜き言葉、というのはよく聞きますよね、「見れる」とか「着れる」とか。そしてそれは、よく非難の対象となります…が…、必ずしも「ら抜き」は悪いことでもありません。
「行かれる」という表現を聞いたことがありますか。日本語の昔の言い方で(いくつかの方言ではまだ残っているようです)、「行くことができる」すなわち「行ける」という意味です。
「いかれる」「いける」の変化をローマ字で表してみましょう。
- IKARERU
- IKERU
ピンと来た方もいらっしゃるのでは?
ここで、ら抜きが行われていない本来の形とされる「見られる」と、ら抜き後の「見れる」を比較してみましょう。
- MIRARERU
- MIRERU
どちらも「AR」が抜かれています。
「行かれる」→「行ける」というのは、皆が自然に使っている表現です。「AR」が抜けるというこの法則にしたがえば、「見られる」→「見れる」の変化も自然なものと考えられます。
今はまだ「見れる」という表現に抵抗がある人々もたくさんいるでしょう。しかし、「見られる」を「見れる」と誰も抵抗を感じず自然に使うという光景が、いつか≪見れる≫かもしれません。