共犯1

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ここでは、正犯と共犯に関して、正犯性や共犯とは何であるか、間接正犯、共謀共同正犯などにつき扱います。

この講座は、刑法 (総論)の学科の一部です。前回の講座は未遂、次回の講座は共犯2です。

共犯[編集]

共犯とは[編集]

複数の者が犯罪の遂行に関与する場合(これを共犯現象と言うことがあります)、自ら直接に構成要件該当事実を実現する者を除いて、構成要件該当性が認められないこととなりますが、このような関与者の行為も犯罪遂行を促進するものであって、刑罰を加える必要があります。このような場合には、むしろ単独犯より危険は大きいとさえ言えるのです。そこで、このような構成要件該当事実を直接実現する行為の周辺に位置する行為まで処罰を拡張することが要請されることから、共犯規定が定められています。共犯は未遂などとともに基本となる構成要件を拡張した修正構成要件です。

同時犯
このような共犯と区別されるものとして同時犯があり、これは二人以上の者が意思の連絡なしに、時を同じくして同一の客体に犯罪を実行する行為を言います。つまり外形上共同して犯罪を実行したとはいえるものですが、意思の連絡がなく、同時に行われる2個以上の単独正犯にすぎないものです。

共犯には、最広義の共犯、広義の共犯および狭義の共犯があります。最広義の共犯は二人以上の者が共同して構成要件を実現することを言い、これは任意的共犯と必要的共犯に分けられます。

必要的共犯[編集]

必要的共犯とは、構成要件上複数の行為者の関与が予定されているものであり、これはさらに、集団犯(多衆犯とも。例えば77条の内乱罪など)と、対向犯(重婚罪・賄賂罪など)とに分けられます。

必要的共犯は刑罰法規において独立に共犯が類型化されているものであり、総則の共犯規定がさらに適用されるものかどうかが問題とされています。集団犯については以下の見解があります。

  • 共犯規定の適用が排除されるとする見解。
  • 集団内部の者についてはともかく、集団外部の者については、共犯規定の適用がなされるとする見解。

また対向犯については、構成要件上当然に存在が予定されるにもかかわらず、刑罰を科すことが定められていない者については、共犯規定の適用はなく共犯としても処罰されないものと解する見解(立法者意思説)が多数説となってきました。判例(最判昭和43年12月24日刑集22巻13号1625頁)においても、「このように、ある犯罪が成立するについて当然予想され、むしろそのために欠くことが出来ない関与行為について、これを処罰する規定がない以上、これを、関与を受けた側の可罰的な行為の教唆もしくは幇助として処罰することは、原則として、法の意図しないところと解すべきである」とされています。

もっとも立法者意思説に立つ見解も、関与行為が通常の枠を超えたときには共犯の成立を認めるとするのが一般的であり、これに対してどこまでが通常のものかにつき、不可欠な関与行為を超えて定型的な関与行為にまで拡張される場合には、処罰の限界が不明瞭になる、あるいは処罰の基思思想が一貫していない等と批判されており、このような立法者意思によらず、必要的関与者が被害者となる場合には法益侵害の惹起が欠如する、あるいは可罰的責任が認められない場合には不可罰であるなどと説明する見解も主張されています。

任意的共犯[編集]

任意的共犯とは、殺人罪や窃盗罪など単独で実現可能な犯罪構成要件に関して認められるものです。任意的共犯には、共同正犯・教唆・幇助の3つの態様があります。

共同正犯
共同正犯は、二人以上が共同して犯罪を実行することであり、これを正犯とすると定められています(60条)。
教唆
教唆は、人に犯罪遂行の意思を生じさせて犯罪を実行させるものであって、これには正犯の刑を科すると定められています(61条1項)。
幇助
正犯を幇助、すなわち正犯による犯罪の遂行を援助・補助することです。条文上は従犯とすると定められており(62条1項)、その刑は正犯の刑を減軽したものとなります(63条)。

共同正犯・教唆・幇助をあわせて広義の共犯と言い、教唆・幇助をあわせて狭義の共犯と言います。

正犯と共犯の区別[編集]

間接正犯[編集]

正犯性(正犯と認められるかどうか)について問題となるものの一つが、間接正犯と教唆犯の区別です。犯罪において、行為者が実行行為を自ら行う場合(自手実行)のほか、外形上は行為者が自ら行うのではなく、他人に行わせる場合(間接実行)があります。例えば医師が薬だと言って毒を看護士に渡し、看護士がそれを患者に飲ませたため患者が死亡したという場合が典型的な例です。形式的に、実行行為を自ら行った者が正犯であるというと、医師は共犯にすぎないこととなり、また看護士に殺意が認められないため殺人罪の正犯として処罰される者がいないことともなり得ますが、それでは形式的に過ぎ、妥当なものではないと考えられます。

そこで、この例の医師のような者について、これを間接正犯として正犯性を認めるのが通説・判例となっており、どのような場合にそれが共犯ではなく、正犯(間接正犯)と評価できるかにつき、様々な見解が主張されています。なお判例(最決平成9年10月30日刑集51巻9号816頁)においては、他人の行為を、自己の犯罪実現のための道具として利用したと言い得ることが必要とされています。学説上も、その行為を支配したと言い得るような場合に間接正犯と認めるのが多数といえますが、内容や根拠などについては見解の相異があり、以下のようなものが主張されています。

  • 被利用者に対する行為支配を根拠とする見解。
  • 被利用者の規範的障害の欠如を根拠とする見解。
  • 実質的に自己の犯罪として行ったと評価されることによる見解。

なお、かつては間接正犯に関して、正犯を狭く、構成要件該当行為を自己の手によって直接行うものと考える限縮的(制限的)正犯概念(これによれば、間接犯も共犯概念に取り込まれ、また共犯は刑罰拡張事由となります。)と、構成要件の実現に何らかの条件を与えたものをすべて正犯であると考える拡張的正犯概念(これによれば、共犯も本来すべて正犯であって、単に実定法によって、正犯のうち教唆犯・幇助犯に限定して共犯として処罰するものとされているに過ぎず、共犯は刑罰縮小事由ということになります。)の見解の対立がありました。もっとも、現在では拡張的正犯概念説はとられておらず、一般に結果との間で相当因果関係があったとしても直ちにそれが正犯行為であるとは考えられていません。

責任無能力者の利用
責任能力のない者の利用する場合であっても、責任能力がないからと言って一律に間接正犯となるわけではないと考えられています。判例(最決昭和58年9月21日刑集37巻7号1070頁)は、日ごろ暴行を加えて従わせていた12歳の養女に窃盗を命じた事案につき、「自己の日ごろの言動に畏怖し意思を抑圧されている同女を利用して」窃盗を行ったとして間接正犯を認めていますが、一方、別の判例(最決平成13年10月25日刑集55巻6号518頁)は、母親が12歳の長男に命じて強盗を実行させた事案につき、この長男には是非弁識能力があり、母親の命令も意思を抑圧する程度のものではなかったとして、間接正犯を否定し、母親に強盗罪の共謀共同正犯が成立するとしています。
過失行為の利用
他人の過失行為を利用した場合についても、行為の支配があったと考えられるような場合には間接正犯の成立を認めるのが一般的です。例えば医師が薬の瓶に毒を入れておいたところ、色などの違いで看護士はその中身が異なるものであると気付くべきであったのに不注意にも気づかなかったような場合、看護士には過失があったといえますが、このような場合にも医師には間接正犯の成立が認められます。

なお間接正犯については、その実行の着手時期も問題とされ、利用行為を着手時期とするのが従来の通説ですが、事案ごとに個別に考え判断するべきとの見解が多数となっています。着手時期については未遂の講座も参照してください。

故意ある幇助的道具[編集]

上記の医師の例において、被利用者に故意がある場合、例えば看護士が医師から渡された薬が毒であると気づいたものの、ちょうどよい機会であり殺してしまおうと思ってそのまま飲ませた場合には、間接正犯は成立せず、医師は教唆犯になるにすぎません。しかし、ある犯罪につき故意ないし目的を持って自ら実行行為を行うのではあるが、もっぱら他人の幇助としてのみ行動する者については、このような者を故意ある幇助的道具として、間接正犯の成立を認め、被利用者を幇助犯とする見解も主張されています。

判例(最判昭和25年7月6日刑集4巻7号1178頁)では、会社の代表取締役が使用人に命じて、食糧管理法に違反して米を運搬輸送させた事案につき、代表取締役を実行正犯として処罰しています。また、下級審の裁判例でも、実行行為の一部分担の事実も、結局は共同実行意思認定の一つの有力な判断材料にすぎないとして、実行行為を行った者につき実行共同正犯ではなく幇助犯としたものがあります。

このように故意ある幇助的道具を認める見解・判例に対しては、主観的な正犯理解の行き過ぎであって、実行行為の全部の自主実行がある以上は正犯と言わざるを得ないとの見解も主張されています。

(参照 w:間接正犯

共謀共同正犯[編集]

正犯性という点で問題となるといえるもう一つの問題が、共謀共同正犯の問題です。なお、そもそも共同正犯をどのように捉えるかということにつき、その正犯性を強調する見解と、あくまで共犯の一種であるとして共犯性を強調する見解とがあります。

共謀共同正犯が問題となる場合とは、例えば犯罪組織のボスが敵対組織の幹部を殺害するため計画を立て、部下に命じてこれを実行させた場合に、果たしてこのボスは共犯であって、実行した部下だけが正犯であると言えるのか、その実質としては、ボスこそが正犯でないかということが典型的な問題とされ、議論されてきたものです。このように共謀共同正犯とは、謀議には加わったものの実行行為は行っていない者を共同正犯の一種と捉えて呼ぶものであり、大審院の時代から共同正犯の一種としてこれを認める判例に対し、従来は学説では、これを認めないのが通説でした。しかし現在では、これを認めない見解も有力に主張されるものの、共謀共同正犯を認める見解が多数となっています。

共謀共同正犯を否定する見解は、60条に言う「共同して実行した」とは、実行行為の一部を分担した者のことを言うのであり、謀議などに加わった者にまで共同正犯の成立を認めることは罪刑法定主義に反し、また教唆犯には正犯の刑が科されるのであるから、それで処理すれば足りると主張します。これに対して共謀共同正犯を肯定する見解は、すべてを教唆とするのでは、犯罪の実態に合致せず、それでは現行法が教唆、幇助、共同正犯を分けて規定している趣旨を没却することともなると批判します。肯定説の理論的根拠としては、様々なものが主張されています。代表的には以下のものがあります。

共同意思主体説
共同意思主体説は、数人が犯罪を共謀することで、一心同体的な共同意思主体としての団体が成立し、そのうちの一部がこの共同意志に基づいて実行行為を行った場合には、それはその団体の活動として、団体構成員全体がその刑事責任を負担することになると考える見解です。
これについては、個人責任の原則に矛盾し、また共謀にとどまるものがなぜ実行者と同じ罪責を問われるのかの根拠が明らかでなく、さらに共謀に参加すればその役割に関係なく全て正犯とするのも妥当とは言えないと批判されます。
間接正犯類似説
間接正犯類似説は、共謀共同正犯は、共同の意思の下に一体となり、相互に了解しあって互いに互いをを道具として利用し合う点から、それぞれにつき正犯性が認められると考える見解です。支配型(上記のような、黒幕が手下を支配しているもの)のみに共謀共同正犯を認めるものと、支配型だけでなく分担型(それぞれの構成員が対等な立場で、役割分担をするもの)にも共謀共同正犯の成立を認めるものがあります。
これについては、共謀共同正犯の場合は間接正犯の場合とはやはり差異があるのではないかとの批判や、分担型に共謀共同正犯を認めないという見解に対しては、それは妥当でないとの批判がなされます。

以上のようにそれぞれに批判があり、現在では、重要な役割説も多く主張されています。

重要な役割説
重要な役割説は、犯罪の実現にとって実行の分担に匹敵し、あるいはこれに準じるような重要な役割を果たした場合に共謀共同正犯として認めるなどというものです。

判例(最大判昭和33年5月28日刑集12巻8号1718頁)では、「共謀共同正犯が成立するには、2人以上の者が、特定の犯罪を行うため、共同意思の下に一体となって互いに他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなし、よって犯罪を実行した事実が認められなければならない。したがって、右のような関係において共謀に参加した事実が認められる以上、直接実行行為に関与しないものでも、他人の行為をいわば自己の手段として犯罪を行ったという意味において、その間刑責の成立に差異を生ずると解すべき理由はない。さればこの関係において実行行為に直接関与したかどうか、その分担または役割の如何は右共犯の刑責自体の成立を左右するものではないと解するのを相当とする」と判示しました。これは、従来の共同意思主体説的な判例を修正したものであると評価されています。

また別の判例(最決平成15年5月1日刑集57巻5号507頁)によれば、共謀は犯行現場においてなされる場合(現場共謀)でもよく、暗黙の意思の連絡があるに過ぎない場合であっても、共謀を認めることは出来ると考えらています。

(参照 w:共謀共同正犯

共犯の処罰[編集]

処罰根拠[編集]

なぜ自ら犯罪を行っていない共犯者が処罰されるのかという実質的根拠について、以下のような見解が主張されます。なお、前二者は主として狭義の共犯を念頭に置いたものです。

責任共犯論
責任共犯論は、共犯者は、正犯者を堕落させ、罪責と刑罰に陥れた(いわば犯罪者を作り出した)ため処罰されるというものです。そこで、この見解に立つと正犯者が犯罪者とならない場合、すなわち責任能力がない場合などにおいては共犯は成立しないこととなります。
違法共犯論
違法共犯論は、共犯者は、正犯者に構成要件に該当する違法な行為を行わせたため処罰されるというものです。そこで、この見解に立つと正犯者が違法な行為を行わなければ共犯は成立しません。
因果的共犯論(惹起説)
因果的共犯論(惹起説)は、共犯者は、正犯者の行為を介して法益侵害・危険を惹起したため処罰されるというものです。そこで、この見解に立つと、法益侵害や危険を惹起することが重要であり、正犯者の責任能力など正犯者に固有の問題については、共犯者には問題とならないということともなり得ます。現在では、この見解が多数となっています。

共犯の従属性[編集]

共犯の従属性とは、共犯の成立は正犯の成立に従属しなければならないか、ということに関する問題であり、上記の共犯の処罰根拠をどのように考えるかと言うことと関連しています。なお、狭義の共犯についてのみ従属性が問題となるのであり、共同正犯については共同性が問題となるという見解もあります。

実行従属性[編集]

実行従属性は、正犯行為の実行が共犯の成立要件となるということであり、従属性の有無の問題とも言われるものです。

共犯従属性説
共犯従属性説は、正犯が未遂として処罰可能となって、すなわち正犯行為につき刑法の介入・禁圧の対象となった段階ではじめて共犯が未遂の教唆・幇助として成立し、処罰可能となるのであり、共犯行為だけでは不可罰な教唆未遂などに過ぎないとする考え方です。その根拠としては、爆発物取締罰則4条のような独立教唆犯の存在や、実質説(実行の着手とは具体的危険の発生であり、それが認められるのは正犯の実行の着手時点であるとする)や形式説(43条にいう実行とは、基本構成要件の実行と解する)が挙げられています。また実質説のほか未遂処罰の謙抑性(44条)を根拠とする見解も主張されています。
共犯独立性説
共犯独立性説は、共犯行為につき教唆未遂などとしてその時点での処罰を肯定する見解です。これでは処罰対象が拡大しすぎ、現在支持されていません。
予備罪の共犯
予備罪については、その共犯が成立するか否かは見解が分かれています。大審院の判例には、これを認めたものがあるほか、戦後の判例(最決昭和37年11月8日刑集16巻11号1522頁)でも予備罪の共同正犯が肯定されています。学説でも、これを認める見解も多く主張されています。これに対し、60条・61条の「実行」を43条と同様に実行行為と解すべきとして、予備罪については共犯成立を否定する見解も主張されています。

要素従属性[編集]

要素従属性は、共犯について、それが成立するために正犯にいかなる要件が充足される必要があるかということであり、正犯の犯罪成立要件にどの限度で共犯の成立が従属するかという問題であるといえます。これは、従属性の程度の問題とも言われるものです。

極端従属性説
極端従属性説は、正犯行為に構成要件該当性・違法性・責任が認められることが必要とする見解です。責任共犯論からはこの見解が導かれます。かつての判例は、この極端従属性説を採用していたものと考えられますが、現在では支持されていません。
制限従属性説
正犯行為に構成要件該当性及び違法性が認められることが必要とする見解です。違法共犯論からはこの見解となります。また惹起説からもこの立場となり得ます。現在の通説的立場です。
最小限従属性説
最小限従属性説は、正犯行為には構成要件該当性が認められるだけで足りると言う見解です。惹起説からこの立場となり得ます。61条の「実行させた」との文言などを根拠とします。

因果共犯論(惹起説)は、この要素従属性の観点から、さらに以下のように分類することができます。

純粋惹起説
自ら法益侵害を惹起したことを貫徹し、共犯の従属性を否定して正犯行為に構成要件該当性が認められることも必要ではないとする見解であり、このように要素従属性を不要とするのが純粋惹起説です。正犯なき共犯をも肯定する見解であって、この見解からは、間接正犯を教唆に吸収する拡張共犯論の立場に帰結します。
修正惹起説
共犯は正犯者の違法な法益侵害行為に加担しているから処罰されるとして、正犯行為に構成要件該当性及び違法性を求める見解です。構成要件該当性及び違法性が認められない限り、刑法の介入は認められないと主張されます。

(参照 w:要素従属性

修正惹起説と混合惹起説[編集]

純粋惹起説・修正惹起説のほか、見解により、混合惹起説に立つとの見解も主張されることがあります。もっとも、混合惹起説と修正惹起説については、その内容・区別について(基本書においても)差異が見られます。

これについて、正犯行為に構成要件該当性及び違法性が認められることが共犯成立の要件として要求されるべきであるというのが修正惹起説・混合惹起説であり、違法共犯論の立場に依拠するのが修正惹起説、因果共犯論に依拠するのが混合惹起説であるというもの[1]や、混合惹起説を関与者の誰かの行為が構成要件を充足することが必要であるという見解として、これを採用するもの[2]、修正惹起説は共犯の違法性は正犯行為の違法性に基づくと考え、人によって違法評価が異なることを否定し、正犯なき共犯や共犯なき正犯も否定する見解とし、混合惹起説は、共犯の違法性は共犯行為自体の違法性と正犯行為の違法性の双方に基づいていると考え、正犯なき共犯は否定するものの共犯なき正犯は肯定する見解であるというもの[3]、修正惹起説は、共犯者は正犯者の法益侵害行為に加担しているから処罰されるとする見解であり、共犯の違法性は正犯行為の違法性に従属するのに対し、混合惹起説は、共犯者は正犯者の実行行為を通して間接的に法益を侵害しているため処罰されるとする見解であり、共犯の違法性は正犯者の実行行為と法益侵害・危険に従属するというもの[4]、修正惹起説・混合惹起説を区別せず、共犯は正犯に実行行為を行わせることで法益侵害惹起に関与するものであり、正犯者の実行行為を必須とする見解とするもの[5]などがあり、以上のように様々に説明されています。

このような差異の原因の一つには、正犯・共犯の一方が違法性阻却事由に該当する場合にどのように考えるかということを惹起説の内容としてどこまで取り込むかということがあるのではないかと考えられます。いずれにせよこのような差異がある以上、各見解の理解の際には、その内容がどのようなものかに注意する必要があります。

罪名従属性[編集]

罪名従属性とは、共犯について、正犯と同じ犯罪(罪名)についてのみ成立するのか、あるいは正犯と異なる犯罪についての共犯も認められるのかの問題です。共犯の本質についての問題であり、犯罪を共同するのか行為を共同するのかの問題であるとも言われます。なお犯罪共同か行為共同かという対立は、かつては共同正犯についてのものでしたが、現在では狭義の共犯についても妥当すると解する見解が通説的な見解となっています。もっとも、これは共同正犯に関するものであって、狭義の共犯についてのものとは区別する見解も主張されています。

完全犯罪共同説
完全犯罪共同説は、一個の、同一の故意犯を共同ないし加担して実現する場合にのみ共犯を認めるべきとする見解です。
部分的犯罪共同説
部分的犯罪共同説は、基本的に犯罪共同説に立ちながらも、異なった構成要件に渡る行為を共同ないし加担して行う場合についても、それらの構成要件が重なり合うものであるときにはその限度で共犯を認める見解です。
行為共同説
行為共同説は、各人が行為を共同することによって各人の犯罪を実現するものと解し、共同者の故意に対応して法益侵害の共同惹起が肯定される範囲内において、異なった犯罪についても共同正犯が成立すると考える見解です。そこで、共犯現象は数人による数罪が行われるものと理解されます。

判例(最決昭和54年4月13日刑集33巻3号179頁)は、七名が傷害を共謀したところ一人が殺意を持って行為した事案につき、殺意の無かった6名については殺人罪の共同正犯と傷害致死罪の共同正犯の構成要件が重なり合う限度で軽い傷害致死罪の共同正犯が成立すると解すべきであるとしました。これは、従来の判例(最判昭和35年9月29日裁判集刑135巻503頁)の、行為者の一方に恐喝、一方に強盗の意思が認められた場合に双方に強盗罪が成立し、ただ強盗の意思がなかったものについては38条2項により刑のみが恐喝罪で処断されるとしたものを、変更したものと評価されています。

(参照 w:共犯の本質

共犯の因果性[編集]

共犯が成立するためには、一般的には、因果関係が認められることが必要です。もっとも、共犯行為と何の間に因果関係が必要かについては、見解が分かれており、共犯行為と構成要件的結果の間に因果関係が必要とする見解が多数ですが、共犯行為と正犯の実行行為との間に因果関係が必要とする見解も主張されます。因果的共犯論(惹起説)からは、結果との間に因果関係が求められるのが当然との主張もなされています。

共犯の因果関係の内容としては、物理的因果関係(正犯による犯罪の遂行を物理的に促進すること)と心理的因果関係(正犯に犯罪遂行意思を生じさせたり、犯罪遂行意思を維持・強化すること)の分類がなされています。

そして因果関係の有無の判断においては、幇助について、通常の正犯の場合などと異なり、判例・通説は、その成立には促進関係が肯定されれば足り、幇助がなければ構成要件的結果発生ないし実行行為はなかったであろうという条件関係(など)までは要求されないものとしています。

(参照 w:共犯

脚注[編集]

  1. 山口厚『刑法総論 第2版』有斐閣、2007年、299頁。
  2. 西田典之『刑法総論』弘文堂、2006年、317頁。(これを構成要件的惹起説という)
  3. 曽根威彦『刑法総論 第四版』弘文堂、2008年、244-245頁。
  4. 大谷實『刑法講義総論 新版第3版』成文堂、2009年、404頁。
  5. 前田雅英『刑法総論講義 第4版』東京大学出版会、2006年、408頁。