幾何学の外へ

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宇宙は何もない空間に何次元かの抽象的な座標軸があってその中を0次元の 点粒子がどうこう、という話ではなく、超ひも理論やらM理論やら、 1次元のひもや2次元の膜が最小単位であるとする現代物理学。 簡単に言ってこれらは空間と粒子の一致であろう。これらの理論は、 観測機器と観測対象とが同じもので構成されているという話になって、 どんな実証もできず、物理学的には正味の机上の空論に過ぎないのが現状の様。

しかしこの話は哲学的には意味がありはしないのか。充填された粒子が宇宙の姿 なのであって空間や座標軸や点を考えるのはやめよう、という話である。 簡単には答えは出ないが課題として著しておく。


(追記)

万物の根源は云々、あるいはモナドのようなもの。筆者もこのようなもののつもりで提案しておこうと思う。筆者の提案は素粒子ならぬ素角度量である。「ある素角度量と別の素角度量が織りなす角度が存在する」。「宇宙の終わり、そして静止は、あるとしたらこの素角度量の同軸的分布である」。これを扱う数理モデルがあるかどうかは知らないが、少なくとも哲学的な自然認識としては見通しはかなり良くなる。物理学的な意味を探るのなら「位置ではなく角度に次元を見出す頭の体操」と思ってもらってもよい。「万物の根源は角運動量である」。はてさて。