意思表示の瑕疵1
意思表示の瑕疵とは、意思表示に何らかの欠陥があるものを言います。法律行為は、成立により効力を生じるのが原則ですが、一定の場合には効力が否定されることとなります。その場合の一つがこの意思表示に瑕疵がある場合であり、心裡留保、虚偽表示、錯誤、詐欺、強迫につき、民法に規定が置かれています。
ここでは、表示から考えれられる効果意思が表意者になかった場合である、心裡留保・虚偽表示・錯誤について学習します。これらは、意思の欠缺(けんけつ)あるいは意思の不存在と呼ばれ、このような場合には意思がない以上、その意思表示は無効となるのが原則と考えられます。なお、詐欺・強迫については次回の講座で扱います。
この講座は、民法 (総則)の講座の一部です。前回の講義は法律行為、次回の講義は意思表示の瑕疵2です。
心裡留保
[編集]心裡留保とは
[編集]表意者が、自己に表示に対応する効果意思のないことを知りながら行った意思表示を心裡留保と言います。端的に言えば嘘を言ったのであり、このような場合につき民法では、93条で、「意思表示は、表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられない。ただし、相手方が表意者の真意を知り、又は知ることができたときは、その意思表示は、無効とする。」と定めています。
そこで、心裡留保による意思表示は原則として有効であり、例外的に、それが真意によらないと相手方が知っていた場合や知ることが出来た場合には、無効となります。
このように定められた根拠としては、表示を信頼した相手方の保護を図る必要があること、また表意者はそれが真意でないとわかりながら自らあえて真意と異なった表示をしているのであるから、このような表意者を保護する必要はないことがあげられます。ただ、このような真意に反する意思表示に対して、相手方もそれが真意でないと知っていたような場合には、保護すべき相手方の信頼もなく、これを原則通り無効としているのです。
なお条文によると、意思表示の相手方が保護されるためには、無過失(つまり真意でないと知らないことについて過失がないことであり、通常知ることができないような場合であること。)が要求されており、過失がある場合(通常の注意をしていれば、それが真意でないとわかるはずであったのにわからなかった場合。少し考えればあり得ない話だと気付く場合であったのに、軽率にも信じた場合など。)には保護されないこととなっています。しかし、わざと真意でない意思表示をした表意者の帰責性の大きさからすると、無過失まで要求することには疑問との指摘もなされています。
(参照 w:心裡留保)
第三者への対抗
[編集]心裡留保による意思表示を有効と信じて利害関係に入った第三者(例えば、Aが嘘をついてBに家を譲ると言った場合、その契約を信じてBから家を買ったC)につき、次に挙げる虚偽表示の場合と異なり、第三者の保護を図る規定は置かれていません。しかし、真意でない意思表示をした表意者の帰責性は、虚偽表示者と同等のものが認められると考えられ、第三者については94条2項を類推適用して保護が図られることとなります。
虚偽表示
[編集]虚偽表示とは
[編集]表意者が相手方と通じてする、真意でない意思表示を虚偽表示(あるいは通謀虚偽表示)と言います。このような場合につき民法では、94条1項において、「相手方と通じてした虚偽の意思表示は、無効とする。」とし、2項で、「前項の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。」と定めています。
この94条の規定により、虚偽表示による法律行為は無効となり、法律行為の各当事者は法律行為による権利の変動を主張することは出来ません。また履行がなされた場合には、無効なものに基づいた履行であって法律上の原因がないのであるから、不当利得としてその返還などを求めることが出来ます。この規定は、表意者も、またそれと通謀した相手方も保護に値するものではなく、結局原則通り、意思の欠ける意思表示は無効とするものです。
隠匿行為
[編集]ある法律行為の裏に何らかの行為の意図がある場合、これを隠匿行為と言います(例えば、脱税のため売買を装って土地の贈与をする場合)。このような場合、表向きの行為(ここでは売買)は虚偽表示により無効となりますが、その裏にある真に意図された行為(ここでは贈与)についてまで自動的に無効となるわけではなく、個別に判断されることとなります。
上の例でいうと、売買は虚偽表示により無効とされても、贈与として有効と考えられる場合であれば、不動産の所有権は、有効に移転することとなります。
94条2項
[編集]94条2項では、無効を善意の第三者に対抗することが出来ないものと定めています。そして、通説によると、対抗とは無効による効果を主張することができないという意味であるとされており、善意の第三者に対して、あの契約は無効だったから土地の所有権も移転していないのだ、などと言えないということを意味します。
これは、表意者にはわざと虚偽の外形を作り出したという帰責性があり、このような者を保護する必要性は薄く、それに対して善意の第三者が虚偽の外形を信じて利害関係に入ったのであれば、その第三者の信頼を保護し、取引の安全を図る必要があるためです。そこで、通説によればこの94条2項により、虚偽表示による契約は無効ではなく、有効と考えられることとなります。
このような考え方に対して、94条2項によって契約が有効と扱われるのではなく、契約はあくまでも無効であるけれども善意の第三者は94条2項によって通謀虚偽表示の目的物の所有権などを取得することが認められることになる、というように捉える考え方もあります。この場合には、善意の第三者はいわば原始取得のような形で、目的物の所有権などを得ることになります。
なお、この規定は、ある者が自己の責任において不実の外形を作り出した場合に、それを信頼した第三者を保護するべきであるとする、権利外観法理(表見法理と呼ばれることもあります)の表れであると考えられており、様々な分野でこの規定が類推適用されています。
第三者
[編集]94条2項に言う第三者とはどのような範囲の者かについて問題となります。一般的に第三者といった場合には、第三者とは当事者およびその包括承継人(相続人など)以外の者であるとされますが、94条2項の第三者は、一般的にはこれよりも限定的に解釈されています。
判例によると、ここでいう第三者とは虚偽表示の当事者およびその包括承継人以外の者であって、表示の目的につき法律上利害関係を有するに至りたる者(大判大正5年11月17日)を言うとされています。そして法律上の利害関係とは、虚偽表示の無効が認められると法律上の権利を失ったり、義務を負わされたりする者と考えられています。
第三者に該当するとした例として、虚偽表示の目的物について物権取得をした者(例えば虚偽表示により土地の所有権が移転された場合にその譲受人から所有権を得た者や、その土地に譲受人によって抵当権の設定を受けた者)や、虚偽表示の目的となった債権を譲り受けた者が挙げられます。また目的物の賃借人も第三者に当たると考えられています。
これに対して、第三者に該当しないとされた者の例としては、目的物の譲受人の一般債権者があります。例えば、BがAから虚偽表示である契約によって土地(甲)を譲り受け、その後BがCから借金をした場合には、契約が無効となり土地がAに返還されれば借金が返済されなくなる危険は高まりますが、(前記のように抵当権などを設定していれば第三者として保護されますが、そういったものがないのであれば)この場合のCは94条2項に言う第三者ではないとされているのです。Cは、いざという時には甲土地を売って借金の返済をさせようなどと考えていたかもしれませんが、それは事実上の期待に過ぎず、虚偽表示の目的物である土地に対しては法律上何の権利も持っていません。もちろん、Cは虚偽表示が無効とされても、Bに対する債権を失うわけでもありません。そこで、Cは虚偽表示の目的物である土地について法律上の利害関係を持たないものとされています。
なお、一般債権者でも目的物を差押えした者については、94条2項にいう第三者に該当するものとされています。
善意
[編集]次に善意について、善意とはつまり知らなかったということを意味し、94条2項の場合では、虚偽表示が虚偽であるとは知らなかったということを意味します。そして、善意であるかどうかは、第三者となった時点で判断されます(最判昭和55年9月11日)。
法文上は善意のみが要件として挙げられており、判例でも善意のみでよいとされていますが、善意無過失まで要求する見解も有力に主張されています。民法の定める信頼保護制度には、相手方には無過失であることを要求するものが多くあります(93条・109条・110条・112条など)。これは、信頼保護の制度によって保護を受けるためには、単に知らなかったというだけでなく、その信頼が正当な信頼である必要がある、つまり怠慢や注意力不足で迂闊にも知らなかったというのではなく、必要な注意をしていたにもかかわらず知ることはできなかったことが必要である、との考えによるものです。そしてこのような考え方からすると、94条2項においても信頼者の無過失を要求するべきであるということになります。
もっともこのような見解に対しては、第三者に過失がある場合であっても、虚偽表示をあえて行った本人よりは要保護性は高いと言えるため、条文上要求されていない無過失という要件を加えるだけの理由としては不十分であるとの批判もなされています。
第三者からの転得者
[編集]まず、94条2項のいう第三者に、直接の第三者からさらに目的物を譲り受けた転得者も含まれるのか(例えば、虚偽表示によりAからBへと土地所有権が移転されたとして、BからそれをCが購入し、さらにCからそれをDが購入した場合のD)、ということにつき、このような転得者も第三者に含まれるものと一般に解されています(最判昭和45年7月24日)。これは、Dのような転得者も第三者の定義に該当しており、Aの帰責性という点においても、またDの保護の必要性という点においても、直接の第三者であるCの場合となんら変わりがないと考えられるためです。
ここで、第三者の善意が求められることから、転得者(例でいうD)が悪意である場合にどのように考えるかが問題となります。一つには、悪意である以上94条2項による保護を受けられないとすることも考えられます。しかし判例では、一度善意の第三者が目的物につき権利を取得すると、そこで確定的に権利が移転し、転得者はその善意の第三者から地位を承継するため、善意悪意を問わずに権利の取得が認められるとしています。このような考え方を、絶対的構成と呼びます。これに対して個別に善意悪意につき判断し、悪意であれば転得者は94条2項による保護は受けられないという考え方を、相対的構成と呼んでいます。
相対的構成をとる見解からは、相対的構成が妥当する理由として、悪意の転得者は保護に値するものではないということが主張されます。
これに対して、絶対的構成をとる側からは、相対的構成をとると善意の第三者(例でいうC)は、悪意の者に土地を売ることが出来なくなる(悪意の者が土地を取得すると、Aから返還請求されれば返還しなければならなくなるため、土地を買おうと思わなくなる)ため、転売などが制限されることとなってしまい保護を与えた意味が十分なものでなくなってしまうこと、また、虚偽表示を作り出したAからすると、善意の第三者(例でいうC)に所有権がとどまる限りは所有権を取り戻すことはできないのであるから、そのようなAの所有権を取り戻す期待にどれほどの保護の必要性があるかも疑問であるということが主張されています。そして、学説においても絶対的構成が多数の見解となっています。
94条2項の類推適用
[編集]94条2項はかなり広く類推適用されており、また通謀虚偽表示と類似した事例につき、この条文によって保護が図られる場合が多くあります。
通謀虚偽表示類似の場合の一つは、真の権利者が、他者が不実の表示を作り出すのを承認していた場合(例えば妻が夫の財産を自分名義で登記しており、夫側もそれを認めていた場合)です。このような場合には、不実の外形を自ら作り出した場合と同様の帰責性があるといえ、94条2項により第三者の保護が図られます。ただし、どの程度の行為・態度により承認といえるか(単に放置していた場合でもよいのか)の判断は、難しいものとなります。
これに関して、単に放置していただけでは虚偽表示と同様の帰責性を認めることはできず、積極的な承認があったと見られる場合に限られるべきとする見解も主張されています。
また、真の権利者が不実の外形を作り、それを基礎として他者がさらに不実の外形を作った場合において、作り出された不実の外形には真の権利者が関与しているものの、その帰責性は通謀虚偽表示などと比較して軽いことなどから、94条2項および110条(表見代理に関する規定)の法意に照らし、この場合には第三者には善意無過失が求められるとした判例(最判昭和43年10月17日)があります。
(参照 w:虚偽表示)
錯誤
[編集]表意者が意識的に内心と異なった外形を作り出す心裡留保や虚偽表示に対して、錯誤は意識せずに内心と異なった表示をしてしまうことを言います。民法では、95条において、「意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない。」と定めています。
錯誤の分類
[編集]錯誤は、伝統的には以下のように二つに区別されると考えられてきました。
- 表示錯誤
- 表示錯誤とは、表示されたものと表示しようとしたものとが異なるものです。これはさらに二つに分けられ、書き間違いや言い間違い(これを表示上の錯誤あるいは表示行為の錯誤と呼びます)と、表示した意味の間違い(例えば1ダースは10本だと思って10ダース買うと言った場合など。内容の錯誤あるいは表示意味の錯誤と呼びます。)が含まれます。
- 動機錯誤
- 動機の時点において間違いがある場合に、その錯誤を動機錯誤といいます。民法では伝統的には、動機は意思表示の内容ではなく、そこに錯誤があったとしても意思に欠缺は生じていないため無効にはならないと考えられてきました。動機錯誤には、対象となる人や物の性質に錯誤がある場合(例えばゴッホの絵だと思ってこの絵を買うと言ったが、実は違った場合など。性質の錯誤などと呼ばれます。)と、意思表示に至るまでの間接的な理由に錯誤があった場合(例えば転勤することになったと思ってマンションを借りたが、実は転勤は勘違いだった場合など。理由の錯誤と呼ばれます。)が含まれるとされています。
ただし、以上のような区別には、その境界は曖昧なものであるなどとして批判も強くなされています。
要素の錯誤
[編集]95条によって意思表示が無効とされるためには、錯誤は法律行為の要素に関するものでなければなりません。
判例によれば、法律行為の要素とは、意思表示の内容のうち重要な部分のことであり、表意者はその点についての錯誤がなければそのような意思表示はしなかったであろうし、また通常の人が表意者の立場にあってもしなかったであろうと考えられるもの、とされています(大判大正7年10月3日)。
具体的には、売買においては売買される物の質や量・価格などであり、金銭の消費貸借(要するに借金)であれば、借主からすれば利息や返済期限について、貸主からすると借主は誰であるかや、保証人や担保の有無などが通常重要な部分にあたると考えられます。
錯誤無効の主張の制限
[編集]相対的無効
[編集]無効とは本来誰でも、またいつでも主張できるものですが、錯誤に関してはこれは制限されるものと解されています。
すなわち、錯誤の規定は、間違った表示をした表意者を保護するためのものであり、表意者に95条による無効の主張をする意思がない場合には、第三者は原則として無効を主張できないとされているのです(最判昭和40年9月10日)。このような無効のことを、相対的無効と呼びます。
錯誤に重過失がある場合
[編集]95条但書において定められているように、表意者に重過失があった場合には無効は主張できないこととなります。重過失とは、著しく注意を欠いていたことを言い、ここでは、表意者がその職業や取引の性質からして当然するべきことをしなかったような場合に重過失があると認められます。例としては、誤記をして気づかなかった場合や、契約内容を確認せずに署名したような場合が挙げられます。このような重過失による錯誤の場合には、表意者に錯誤について帰責性があり、そのような表意者よりも取引相手の信頼や取引安全の方が保護に値すると考えられるため、無効を主張できなくなるものと定められているのです。
なお、 明文での規定はないものの、相手方の保護のために重過失がある場合には錯誤無効が認められないことからすると、相手方が錯誤につき悪意(あるいは有過失)である場合には、たとえ表意者には重過失があったとしても、相手方が知っていた、あるいは知るべきであった以上、錯誤による無効を認めて表意者を保護してよいとの見解も主張されています。
また、電子消費者契約における消費者の意思表示では、一定の場合に95条但書の重過失による錯誤無効の主張の制限が排除されています(電子消費者契約及び電子承諾通知に関する民法の特例に関する法律3条)。
(参照 w:電子消費者契約及び電子承諾通知に関する民法の特例に関する法律)
第三者への対抗
[編集]判例においては、錯誤による無効も他の理由による無効と同様に、第三者にも対抗できるものとされています。
これに対して学説では、(他人に騙された)詐欺の場合においても取消しが善意の第三者に対抗できないとされていることからすると、(いわば自分で勝手に間違えた)錯誤の場合においては、そのような本人の保護の必要性は詐欺の場合より低いといえるのであるから、善意の第三者には錯誤による無効を対抗できないと解するのが妥当である、との見解も有力に主張されています。
動機の錯誤
[編集]上記のように、動機は意思表示の内容ではなく、この部分の錯誤については原則として無効にはならないとされます。しかし多くの(重要な)錯誤は動機の部分での錯誤でもあり、表意者の保護・自己決定の尊重という観点からすると動機の錯誤も錯誤として認め、意思表示を無効とすることにはそれなりに理由があるものと考えられます。
もっとも、通常動機は相手方には分からないのものであるため、動機の錯誤を広く認めると予期せぬ理由によって契約などが無効となり、相手方の信頼や取引の安全を害することとなることも考えられます。
このような中で、判例では、動機が表示され意思表示の内容になった場合には、その動機における錯誤でも95条による無効の対象となり得る、としています(大判大正3年2月24日など)。もっとも、およそ表示されれば何でもよいとされているわけではなく、動機が表示されたにもかかわらず意思表示の内容としては認められなかった判例もあります(なお、錯誤による無効が認められるためには、当然、錯誤があるだけでなくその錯誤が要素の錯誤である必要もあります。)。
そして、このような判例には批判も強くなされており、以下のような見解が主張されています。
- 動機錯誤と表示錯誤を区別し、動機は効果意思にはならないとした上で、にもかかわらず表示されれば意思表示の内容となりうると言うのは矛盾であるとして、動機は意思表示の内容ではなく動機の段階での誤りのリスクは表意者が引き受けるべきものと考え、動機錯誤については錯誤として一切考慮する必要はない(表示されたとしても条件などとして考慮されるにとどまる。例えば「このカバンが本物であることを条件に売買する」といった場合だけである。)とする見解。
- 動機錯誤と表示錯誤の区別を否定し、およそ真意と表示との間に不一致があれば全てを錯誤の問題として95条の対象とした上で、相手方の信頼を保護し、また取引安全を図るため、錯誤に関する相手方の認識可能性を要件として求める見解(認識可能性説)。
(参照 w:錯誤#民法上の錯誤)