コンテンツにスキップ

Topic:読まないのに書評/『嫌われる勇気 アドラーの教え』岸見・古賀

提供:ウィキバーシティ

要するにこの本→、w:嫌われる勇気なんですが…

このアドラーという人、一説ではフロイト、ユングと並ぶ、精神医学、心理学の大家とみなされているようですが…どうも私はね…この人だけものすごくうさん臭く感じるんだけど…

思うに、世の中には、自分びいきという発想で生きている人たちが確実にいて、自分や自分の気に入った人間の考えや行動は、徹底的に理屈を駆使してその価値、意義を高め、気に入らない人間のことは徹底的に理を尽くしてその価値を毀損する、そういう発想で,そのことにしか興味がない人間が、いる、んだよね…。

普通学問に興味のある人は、真実を知りたい、本当のことを知りたいと思ってやっているんだけど、このアドラータイプは違うね。自分が気持ちよくなりたい、自分が優越感を感じたい、それだけでやってるように見えるんだけどね。

だからこの人の心理学とやらに入れ込む人は皆、結局今の自分が最高に凄くて、あとは最高にすごいその自分が他人に講釈を垂れよう、ただそれだけの人たちにしか見えないね。

だから、要するに、嫌われ者の自分は勇気がある人間だって言いたいわけでしょ?

嫌われるのは普通嫌なのに、それを敢えてする俺は凄いってことでしょ?

だけど一つだけ言っておくけど、嫌われるのは確かに普通嫌なことだけど、一方で他人を嫌うということも、ものすごく嫌だし辛いことなんだからね。

その気持ちを他人に強いる人が、本当に偉くて勇気があるわけ?

…と,こういう意見でして、私自身はアドラーなる人には全く興味ないし、意味ある人だとも思わない。学校の勉強はできたけど、結局重要な事は何一つ解ってない、周りが自分と同様のつまらない人たちばかりだから、そこそこ社会的に成功しただけの人だと思うね。

正直この手の人たちとは全くかかわりあいたくないんだけど、この文章にコメント、反論があるというなら、本当にうんざりなんだけど、ページを作った以上は耳を傾けますよ、本当にうんざりで嫌なんだけどね。

…さて、やっぱりこの企画は悪口ばかりになるので、私の記述はここまでの2本で辞めます。

ちなみにあと2本用意していると以前書きましたが、参考までにその本を書いておくと、「甘えの構造」と「徒然草」ですね…